ハンターエッセー

第8回 ハンター翁の銅像(後編)

ハンターさんの答辞を竜太郎が代理として朗読しています。次はその一部です(1)

写真10 桜島本社前のハンター翁像

・・ very early in the Meiji era I conceived the idea of founding a shipbuilding yard for the construction of vessels such as I foresaw would soon be required in this country, in the hope that it would become a great establishment worthy of modern Japan.・・ I should like to take this opportunity of saying that the success which has been achieved is due in no small measure to the loyal assistance of men still in the service of the Company, who stood by me in days of adversity as well as of success.・・If the statue of the pioneer has any influence, I hope that it will be in the direction of consolidating and extending the position that has already been won.

E. H. HUNTER
Osaka, November, 25th. 1916

(仮訳)

・・明治の最も初期に、私は造船所を建設して船を建造することは、近い将来この国にとって必要となるという考えに至りましたし、このことは近代日本にとって価値のある素晴らしい事業となるであろうとの期待を持ちました。・・この機会に是非申し上げたいことは、これまで成し遂げられてきた事業の成功は、逆境の日にも順風の日にも私を支えていただき、現在にいたるまで会社のために尽力しておられる方々の多大なる誠意あふれるご助力がなければ達成できるものではなかったということでございます。
・・もし、このパイオニアの像が何らかの心を伝えることができるならば、これまで築き上げてきた会社の地位を一層確固なものにし、さらに将来に向かって拡大して行くような挑戦する心を持ち続けてほしいと望む次第です。

E. H. ハンター
大阪において 1916年11月25日

ハンターさんの挑戦する心の象徴であるこの銅像は、第二次世界大戦中に供出され現在はありません。銅像の材料の銅は船のプロペラの材料でもあるので、艦船の一部になってハンターさんの母国の船と戦っていたかもしれません。心が痛みます。

大阪鉄工所は、昭和18年に日立造船と名称を変更します。戦後の財閥解体の危機を切り抜け、さらに輸出の主力産業として経済復興をリードすることになります。ハンターさんが銅像に託した挑戦者としてのDNAはしっかりと生きていたと思います。

参考文献

  1. 1『ハンター翁銅像建設小誌』大正6年3月1日、株式会社大阪鉄工所

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